前回6月13日は、南風見田方面から電波を受信したので、今回もまず、南風見田方面へ下りました。
そして、電波を探します。しかし、受信せず。
しばらく海岸沿いを歩いて、電波を探査しますが、受信せず・・・
また、クイラ越えを三叉路まで上り、次は、鹿川方面へ道を下ります。
そこで、再び、電波を探します。
そして受信!!
6月18日の調査結果では、5月27日と6月1日の間から発信がありました。
鹿川で元気に過ごしています。
最後に、クイラ越えに関する話題を、舟浮の方にお聞きしたので、それを載せます・・・
第二次世界大戦中、舟浮に要塞が有りました。
戦争末期、民間人は舟浮集落から大原へ集団疎開しました。
疎開の際、学校のオルガンを担いで、クイラ越えを通っていったそうです。
実際に、自分が通ってみて、とてもしんどかったです。
オルガンなんてかついで上がれる道とちゃいます。
「昔の人は、力持ちで体力あったんやなぁ」と感じました。
(ひな)